TSUMATABI SUPPORTER妻旅サポーター
TSUMATABI SUPPORTER 01
TORU SHIMOYA
妻旅サポーター:01 下谷 通さん
サポーターテーマ:自然・歴史
キャベツ村の誕生秘話
「嬬恋村の自然や歴史でわからないことがあれば、この人に聞けばまちがいない」。村中から厚い信頼を寄せるその人、下谷通さん。「浅間山北麓ジオパーク」(※)の名ガイドとして、浅間山やキャベツにまつわる村の自然、歴史を分野横断の幅広い知識を織り交ぜながら魅力たっぷりに語ってくれます。今回、下谷さんがガイドで実際に話している「キャベツの村・嬬恋村の誕生物語」を紹介しつつ、下谷さんがガイドに取り組むその想いにグッと迫ってみました。
(※)日本ジオパーク委員会が認定する「地域の地史や地質現象がよくわかる地質遺産を多数含むだけでなく、考古学的・生態学的もしくは文化的な価値のある地域」。2016年、「浅間山北麓ジオパーク」は認定された。
浅間山からキャベツは生まれた
広大なキャベツ畑が広がる嬬恋村に訪れたら、ぜひ注目してほしいのが、キャベツ畑の「土の色」です。よく見ると、すべて黒い色をしているのがわかるでしょう。この土は、正式名称を「黒ボク土」といいますが、火山灰が堆積するエリアに生成され、世界でも1%ほどしかないといわれる貴重な土です。嬬恋村では、浅間山の火山から噴出した火山灰が堆積して形成されます。1783年の「天明の大噴火」が有名ですが、それまでにも大噴火が3度あり、長い時間をかけて火山灰土壌地帯が形成されてきたのです。かつて村民はそれを「のぼう土」と呼んでいました。〈でくのぼう〉からきていて、見かけ倒しで役立たずだとされていました。というのも、この黒土は作物が育たないのです。土に含まれる腐葉分が分解されず、作物がそれを吸収できないためで、ススキやササなど一部の植物しか生育しません。
事態が一変したのは、いまからおよそ70年前の戦後のこと。農業技術が進歩し、土壌改良剤がうまれ、野菜が育つ土壌へと新たに生まれ変わります。「のぼう土」は、一躍「光の土」となるんですね。まさに、革新的といえるこの土壌改良を経て開拓が進み、大規模な農場がうまれ、広大な土地でのキャベツ栽培が可能となる土台ができていきます。一般にはあまり知られていませんが、浅間山とキャベツは切っても切れない関係にあるんです。
日本一の貧村を救った、栄光の三銃士
土壌改良が起こる少し前の時期に話を戻します。昭和初期、いまからおよそ90年前のこと。その頃の嬬恋村は、日本一貧しい村といわれるほど困窮していました。食べるものにも困り、「万に一つの奇跡を信じるほかない」貧状と記されたほど、崖っぷちの状態でした。そこに、意を決して立ち上がった3人の熱き男たちがいます。青果商人の青木彦治氏、農業技術員の塚田国一郎氏、村長の戸部彪平氏です。この3人の大恩人たちがいなければ、いまのキャベツで潤う嬬恋村はまちがいなく存在していなかったことでしょう。
異業種の彼らが手を組み、一心同体となって取り組んだのが「野菜で食べていける村づくり」です。それまでは、林業、あるいは畜産業で食べる人が多かったのですが、野菜栽培一本に嬬恋村の命運をかけると決めたのです。3人は毎晩村の農家をまわり、座談会を開き、こう迫りました。
「野菜をつくるか、さもなくば、出稼ぎに行くか」。交渉は難航しました。粘り強く何度も対話を重ねる中で信頼を獲得し、農業の村としての成功に向けて村民の心は徐々にひとつになっていきます。
そして、戸部氏は道路を建設し、野菜を輸送して売りに出せる環境を整備。塚田氏は、高冷地での野菜のつくり方を指導し、商人であった青木氏がキャベツ栽培を奨励するのです。先に述べた戦後の土壌改良を経てようやく3人の涙ぐましい努力が結実し、日本一のキャベツ産地・嬬恋村の礎がここに築かれるのです。
いつか自分の誇りとなるように
このように、嬬恋にあった歴史的事実をストーリーにして、面白く、わかりやすく伝えていくのが私の仕事です。ルーツは大学卒業後に嬬恋村役場に勤めたことにさかのぼります。最初の配属先が農林課で、それがきっかけで嬬恋の農業への知識を独学で深めていきました。しだいに、村の歴史にも興味対象が広がり知識の幅が広がっていきました。村にまつわるさまざまな事柄について調べていく過程で気づいたことがあります。それは、嬬恋村には自分たちが誇りを持つべきことが正確に伝わっていなかったり、そもそも知らされていなかったりするということ。
たとえば、村名「嬬恋」の正式表記は「嬬戀」であることも、きっと村民のほとんどが知らないと思います。いま使われている「恋」の字は、「戀」を簡略化したものなんです。「戀」の字の成り立ちを見ると、「言葉を通じ赤い糸で結ばれて、心を通わせる」。そんな素敵な意味がこめられています。私はこの「戀」が大好きなんです。時が経ち、世代が変われば、村の過去を知らない人はどっと増えていきます。自分たちが後世に正しい情報を伝え、残していかなければならないと、ある種の使命感が芽生えてきて、定年後、ガイドを務めることにしました。
嬬恋村には、村外の人々のみならず、もっと地元民に知ってほしい、そして親が子どもに伝えてほしい魅力的なタネがたくさん残されています。
たしかに、昔は大変貧乏で食べるのに必死で、村の歴史を教え伝えていく余裕すらない日々を過ごしていました。かつてより裕福になったいまこそ、子どもたちが村の輝かしく素敵な事実や物語を学び、この村を好きになってほしいと思います。いずれ大人になり都会や世界に出て行った時、嬬恋村で育ったことに誇りや自信をもってほしいんです。そう思って、一人でも多くの人に、嬬恋の自然や歴史の魅力をこれからも伝え続けていきたいと思います。
[ 嬬恋村の夫婦の旅を盛り上げる
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