HISTORY愛妻家の聖地「群馬県嬬恋村」とは

愛妻家の聖地伝聞録 〜

其の 一 結婚

日本武尊は、九州を平定後、
弟橘媛(オトタチバナヒメ)に出会い、
めでたく結ばれます。幸せもつかの間、
東国(いまの関東平野一帯)の
征伐を命じられ、ともに東へ。

其の 二 悲劇

船で東征中のある日、嵐に見舞われます。
海神が怒っている仕業だとし、
弟橘媛は「私の命に代えて、
海神の怒りを鎮めましょう」といい、
荒れ狂う海へ身を投げることに・・・。

其の 三 献身

嵐は無事おさまりました。
しかし、日本武尊には
東国平定という任務が残っています。
妻を亡くした悲しみを引きずりながら、
船を前へ、前へ・・・。

其の 四 愛叫

東征の帰路碓日坂いまの鳥居峠に立ち寄り
こらえていた悲しみがどっと溢れ出します。
吾嬬者耶あづまはやああ、我が妻よ、
恋しい〜と、泣き叫んだのでした。
その叫びが転じて、村名となりました。

其の 五 聖地

そんな、愛妻伝説の眠るこの村は、いつしか
愛妻家の聖地と呼ばれるようになりました。
二人の魂は今日もこの村のどこかで、
仲睦まじく暮らすメオトたちを
あたたかく見守っていることでしょう。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の愛妻家伝説が、
嬬恋村を聖地にしました。

群馬県嬬恋村の村名の由来は、日本武尊の愛妻伝説にあります。昔々、日本武尊が東征中、海神(ワタツミ)の怒りを鎮めるために愛妻・弟橘姫(オトタチバナヒメ)が荒れ狂う海に身を投じました。その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)に立ち、亡き妻を偲んで「吾嬬者耶」(あずまはや)=「ああ、わが妻よ、恋しい」と嘆きました。これが世界初の愛妻家宣言、と言われています。

以来、嬬恋村は「妻恋しい村」としての歴史を歩み始めます。そして2006年、日本愛妻家協会が嬬恋村を「愛妻家の聖地」と制定。国内外から愛妻家が集い、村は愛情にあふれました。あふれでる愛情は農作物にも注がれ、夏秋キャベツの収穫量は日本一に。さらに日本武尊を祀る五つの「愛妻神社」をはじめとする、パワースポットの数々。そして「愛妻家の聖地」スポットとして、不動の地位を築いた「愛妻の丘」。「愛してるよ〜」と叫ぶ日本人男性の姿は、海外メディアによって世界でも話題になりました。日本武尊の愛妻伝説を源流に、嬬恋村の「愛妻家の聖地」としての魅力は色褪せていくことはありません。
日本愛妻家協会の公式ウェブサイトはこちら

四季を通じてメオトで楽しめる、嬬恋村。

嬬恋村は、四季を通じて「妻との時間をつくる旅」にぴったりの場所。オールシーズン、豊かな自然にあふれ、見所・体験がいっぱいです!浅間山など2000メートル級の山々の山麓に広がる高原の村はどこまでも広く、その彼方には、さえぎるもののない青空。道が続く限り、走っていきたくなるような大きなスケールです。春は桜が咲き、5月中旬頃になるとピンクのシャクナゲが咲き誇り、6月中旬頃にはレンゲツツジが真っ赤に高原を彩ります。夏は緑の絨毯を敷きつめたようなキャベツ畑、涼やかな風、おいしい空気、星の輝きも抜群です!秋は紅葉。白樺やカラマツなど、紅に山肌が染まります。そして冬はスキーをはじめ、様々なウィンタースポーツが楽しめる銀世界。アフタースキーは、とっておきの温泉が心を癒してくれます。四季折々、表情を、世界を変えていく嬬恋村に、メオトでぜひ!

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